きたかる遺産❶ 歌を継ぐ子
北軽井沢で生まれた、谷川俊太郎さんの詩と歌
北軽井沢に「大学村」と呼ばれる別荘地がある。浅間北麓の広大な牧場跡地に、理想的な教育とコミュニティの場を目指し開かれた。哲学者や小説家、作曲家などの文化人が山荘を構え、夏の間の創作や交流の場として、サロンのような役割を果たしてきた。
詩人である谷川俊太郎さんも、そのひとり。父親が建てた小さな山荘で、生まれた翌年から毎夏を過ごす。鬼押出しに登ったり、草軽電鉄にゆられたり、照月湖でボートを漕いだり…手付かずの自然に触れる日々から、たくさんの詩が生まれたという。
二十歳の処女作『二十億光年の孤独』で鮮烈なデビューを飾ったあと、昭和38年には「長野原町立第三小学校」の校歌を作詞。作曲は同じく大学村の住人であり「ざわわ ざわわ…」で知られる『さとうきび畑』の寺島尚彦さんだ。
それから約60年「北軽井沢小」から「浅間小」へと3回改名しても、一言も変えることなく歌い継がれてきた。
令和5年には、作曲家である息子・賢作さんと「長野原中学校」の歌を親子制作。
歌う・聞く・見る… 引き継がれる大地の引力
長野原町と俊太郎さんの縁を多くの人に知ってもらい、地域の誇りとして育てていきたい…町が主導し、官民が一致団結して実施したのが「谷川プロジェクト事業」だ。
GW狭間の平日、2つの校歌を歌う合唱会が、長野原町役場のホールで開かれた。集まったのは小学5・6年生と中学生、あわせて250名。俊太郎さんの息子・賢作さんがピアノを演奏し、寺島尚彦さんの娘であり声楽家の夕紗子さんが歌声を重ねた。
先生からは生徒たちの声がちゃんと出るか心配…と聞いていたが、会場に響き渡る元気な「ぼくもわたしも 浅間っ子」で心配は吹き飛んだ。俊太郎さんから届いたメッセージ動画も上映。聴衆の中には、県外から訪れた旧・第三小学校の卒業生もおり、涙を流して喜ぶ姿が印象に残った。
合唱会と前後し、詩と写真を飾った展覧会や詩を歌う音楽会も行われた。会場は町民に親しまれる「北軽井沢ミュージックホール」。音学生たちの夏の合宿施設として、日本で初めて建てられた音楽堂で、世界的指揮者である小澤征爾さんにも深い縁がある。俊太郎さんの詩を歌うユニット「DiVa(ディーヴァ)(谷川賢作/大坪寛彦/高瀬”makoring”麻里子)」のライブも開催し、大学村住人や地元の家族連れなどで大いに賑わった。
ミュージックホールから国道を挟んで広がるグラウンドには、プロジェクトを象徴する場が作られた。2本の唐松を背景にした巨大黒板には、一編の詩が書かれている。「万有引力とは ひき合う孤独の力である 宇宙はひずんでいる それ故みんなはもとめ合う」
国を越え、時代を超えて愛され続ける詩人・谷川俊太郎さんが「心の故郷」と称した北軽井沢。この地の「引力」に惹かれ、そこから生まれた詩や歌や物語が、また新たな「引力」をもって引き継がれていくのだ。五月晴れの空に、僕も思わずくしゃみをした。