地域のストーリーを紡ぐ きたもっくの家づくり

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北軽井沢から車で10分ほど。群馬県吾妻郡長野原町にある狩宿地区。そこに、きたもっくに今あるノウハウをすべて詰め込んだ一般住宅が完成した。

狩宿は、浅間隠山を含む南木山系の麓に位置し、古くは源頼朝が浅間野狩の際に陣を張ったとされ、江戸時代には高崎と長野を繋ぐ信州街道の宿場があった土地だ。豊富な広葉樹の山林に囲まれ、地域で一番綺麗だとされる湧き水がでる。ニセアカシアや藤の花が咲き、水が綺麗だから美味しいはちみつも採れる。野生動物もたくさん生息し、名前通りの狩場でもある。しかし、今では空き家が目立ち、全国に増える「限界集落」とされる地域のひとつだ。

きたもっくは、2021年から養蜂の圃場として狩宿の土地を活用し、この地域の自然環境の豊かさを蜜蜂を通して実感してきた。そして、ものづくり拠点『あさまのぶんぶんファクトリー』の本格稼働のタイミングで、この地域での暮らしを営む「家」づくりに着手した。

選定した土地の広葉樹やカラマツを伐採。伐期を迎えているが、曲がっていて扱いにくい木をあえて選んだ。

伐った木を自社で製材し、建材へと加工。この地域で約40年ぶりに復活となる製材所を稼働し始めたばかりで、これが最初の仕事である。

伐ったカラマツは太鼓梁として、あえて樹皮を剥がしていない。チェーンソーや重機、製材機でついた傷も残っている。柱に書いてあった「に 八」などの印もそのまま。自分たちの仕事の痕跡を残した家だ。

内壁や外壁はカラマツで覆い、床は強度のあるクリ。框や洗面には40年ほど前に廃業した製材所から引き上げてきた古いケヤキを磨いて使い、出窓の枠にはナラ。ロフトへ上がるはしごには、9種類の広葉樹の端材を使った。安定供給が可能な地産エネルギーである薪も、薪ストーブでもちろん使う。

その土地にある素材で家と暮らしをつくる。昔は当たり前だったことが現代ではとても稀なことだと、建築していた時期におきた世界的な物流の混乱もあって改めて気付かされた。

 

終盤、250年ほど前の立派な石碑が出土した。ミュージアムに勤める学芸員に聞くと、おそらく夫婦の戒名が書かれた墓標だと。今はほとんど人が住んでいない土地だが、昔の人はここが生きていくのに困らない豊かな土地だということを本能で分かっていたのだろう。現代ではその本能が鈍り、生きる力が失われつつある。
きたもっくが初めて建築した家は、地域資源の活用を通して、地域の記憶を掘り起こすきっかけとなった。限界集落を舞台に、生きると働くを実践する、きたもっくの新たな「場づくり」が始まった。