北軽井沢別荘はじまりのいえ 田中銀之助が愛した森と <後編>
(フリーペーパー『きたかる no.10 ~「きたかる建物応援団」がゆく!~より』)
(前編からつづく)
調べると建物を建てたのは田中銀之助。明治から昭和にかけて活躍した実業家である。「天下の糸平」と呼ばれ、横浜で生糸、洋銀などの相場で財をなした田中平八の孫にあたる。英国のケンブリッジ大学に学び、ラクビーを日本に伝えた。酒豪で豪放な気質であったという。銀之助は、南に浅間山、北に白根山から谷川連峰までパノラマが広がる豪快な御所平の土地が気に入り、手に入れたのだ。建物内には電気の配線がなされ、ボイラーで給湯が行われていた。梁に大工が墨さしで大正9年の走り書きをしていることから、建物の創建は大正9年頃である。この頃、草軽軽便鉄道が通り、電気をいち早く取り入れたと考えられる。
廃墟同然のこの家にも、平成22年、転機が訪れた。自然に従う生き方をコンセプトにした「ルオムの森」の中心施設として修理が行われたのだ。今は、本屋やカフェ、ギャラリーとして使われている。傷みのひどかった浴室や使用人のスペースは解体され、畳の和室は床板が張られたが、主要な空間はそのまま生かされている。
この建物には、自由に自分の居場所を選択できる広い空間がある。時を忘れて、いつまでも離れたくなくなる空間がある。気がついたら森に囲まれている。…そうだ、それは田中銀之助が愛した森のせいなのだ。